小学校コンピュータクラブ、7月の授業

授業

前回の授業ではFlashアップデートのためにViscuitが起動できず、急遽Scratch tutorial をおこなったが、担当の先生のご配慮でFlashアップデートをしていただき、今回こそは本格的にVIscuitができると意気揚々、クラブ時間に臨んだのだが、、、ダメだった。

しかし同じような状況だったことがViscuitユーザーの会で広まっていたせいか、Web版Viscuitに「ふるいバージョン」というボタンが現れていたことを、私ではなく担当の先生が発見し、無事にViscuitをすることができた。原田さん、担当の先生に感謝。

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生徒の半分は昨年度のクラブでVisucuitを経験していたので、海のお魚とパックマンをさらっとやって、歩く棒人間、棒人間ダンスのランドで締めくくった。時間が押せ押せだったけど、ランドに表示された自分の作品を見た生徒の笑顔がとってもよかった。

次回はViscuitで軌跡をやるかゲームをやるか、それとも一気にやって、次々回ではモクモクと作品作りをしてもらうか思案中。そして学校文化祭でなんとか作品展示をしたい。そこまでで1ターンかな。

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先生研修会

授業後に担当の先生から、放課後の先生研修会でViscuitワークショップができないか急遽依頼され、もちろん即座にYesと答え、VIscuitの軌跡をやった。最後の例で自分がミスったこともあって、あのメガネでなぜ棒の軌跡が幾何学模様を描くのかまではピンときてもらえなかったようだけど、VIsucuitの表現力、強いてはプログラミングだからこそできるおもしろさは伝わったようだった。

熱心な先生も中にはいらっしゃって、私としてはどんどん経験を積み、実践に結びつけていってほしいと思った。

 

 

初めてのUber

米国出張で初Uberをしてみた。空港から目的地まで近かったし、公共交通も皆無だったので、初体験には良い場所だと思った。アプリは出発前にインストールし、カード登録も完了させた。でも自宅で起動しても画面には地図が表示されるだけで、ほんとに使えるのか心配だったけど、目的地の空港でアプリ起動すると赤い車のマークがいくつも表示され、それだけでなんだか満足してしまった。

 

待ち合わせ場所が、、、、

依頼して待ち合わせ場所と待ち時間が表示されたが、空港のどこに待ち合わせ場所があるのかわからなかった。ここだと思って待っていたら電話がかかってきて(今、考えると国際電話なんだなぁ)、それで理由を言って待ってもらうことにし、空港の人に場所を聞いてなんとか合流できた。2階のTAXI乗り場のそばと思っていたら、1階のUber専用の待合場所だった。表示された地図では1階か2階かまでは判断できなかった。

で、後からの請求書に$2の待ち時間が追加されていた。あれれ。。。

 

車内での会話

Uberって普通、助手席に座るものなのかな? 運転手さんから助手席を促されて座ったけど、TAXI感覚からすると妙な気持ちだった。そして助手席だと黙って座っているわけにはいかない雰囲気になる。これは困った。自分は英語会話力0ではないけど、20分の搭乗で半分はシーンという状態はいかがなものか。。英会話が苦手だったり、そもそも話するのが好きじゃない人は助手席はしんどいだろうな。

 

支払い

チップも含めてカードで払うので、目的地に着いたら「Thank you. Bye」で終わるのは楽。特にチップは、その場で金額決めて払うのって慣れてても大変だから、後から親切だったな、良かったなと思えば多めに払うこともできるこのシステムはほんとに便利。

 

30年前のアメリカ人の車といえば、ボンネットカバーがなかったり、車内は配線むき出しのカーオーディオだったりジャンクな雰囲気満載だったけど、Uberだからとはいえ、ドライブを楽しめる車だった。車種わからないけど、Uber値段の安い方でも十分な広さとラグジュアリー感はとってもよかった。

 

総じて

便利、快適、楽と90点。会話が楽しめなかったのが10点分だけど、それも悪いわけではないから実質満点かな。あれだけのUberが動いていて、大きなトラブルを聞かないのも安心できることの1つ。

インド人から聞いたけど、バンガロール近辺ではUberが大変普及しているそう。スマホでコール、支払いというシステムは媒体がTAXIだとしても今後普及の方向になるのは確実だろう。少なからずトラブルが発生するとは思うが、システム強化を促進させる意味でもみんなで使っていくべきシステムだと強く感じた。

 

 

 

小学校コンピュータクラブ

今年度から近所の小学校のクラブ活動で、コンピュータクラブに登壇することになり、その第一回目にいってきた。

「冒頭が大事」と、自己紹介から自然にViscuitに流れこんでいくプレゼンで順調に進んでいったのだが、「さぁ、お魚マークをダブルクリックして」と少々興奮気味に子供達に指示をだしたものの、生徒のPCの画面に出てきたのはFlashのバージョン違いで起動できないとのエラーダイアログ。。。

あーなんてこった、Web版Viscuitが立ち上がらないではないか。子供達がざわつき始めたので、クラブの担任と30秒ほどの議論ののち、この日はScratchの基礎をやった。前にどこぞのWebページに載っていたScratchの導入カリキュラムを思い出し、時間の許す範囲で子供達に楽しんでもらった。

 

ふりかえり、、

  • 3ヶ月前に動いたからといって、今日も動くと思うのはあまりにリスキーな考えである。
  • ネタはあらかじめ、予定の4倍は仕込んでおけ。
  • ざわつきが大きくなりすぎたら、さすがにガーンと言わないと無法地帯になる。

良い経験をさせてもらった。次は7月9日、それまでにやれることはやりきりたいものだ。

 

 

今、ユーザーストーリーとはメタファーと言えるかな。

www.slideshare.net

 

コードを書く仕事はしてないけれど、自然とここにあるユーザーストーリーに似た方法で仕事をしているようだ。「どうやるか」よりも「それをするとどうなる」から、どうやれば終わるかを毎朝、同僚と一緒に考えている。見積もりをきっちり取ることはしないけど、いつ終わるかに違いがあると、大概次の日に「思ってたんと違う」になるから、行灯のようなシグナルに利用している。またユーザーを明確に決めていないし、仕事の性格上、エンドユーザーの顔が思い浮かぶことはないから、それをやって欲しい人は誰なのかは必ず確認をしている。そうすればわからないことや納期、技術会、ゴールを気軽に聞きに行けるようになるので、とても便利だ。

ユーザーストーリーは何かをする上でのちょっと根源的な考え方であり、やり方である。それがこのようにまとめられていると、自分の仕事リファクタリングが実現しやすくなる。どうしても小さなカードに何かを書いてボードに貼ることに熱中していた時があったが、今はボードに貼ることとはなんなのかを考え、自分の理想な状態を想像し実現して行くツールになっている。とてもいいことなんだとつくづく思う。

 

 

今年度の小学校ワークショップ

昨年度から始めている小学校での先生向けワークショップ、今年度は先生向けを継続するのに加えて、授業に入っているクラブ活動のコンピュータクラブで月に一度、ワークショップを行うことになった。6回分の日程を決めたけど、年に8〜9回くらいになりそう。今年の2月にも生徒とVIscuitランドをやったのだけど、みんなの反応がとても良くて、そのおかげで今回の採用になったんだと思う。今年度もまずはViscuitから入って、子供達の興味や関心をみながら幅を拡げていこうと考えている。

また先生向けも継続というか、先生の入れ替わりがあったので、昨年度のViscuit、Micro:bitのワークショップを再度やってみて、興味のある先生にはより深い内容を提示していきたい。はやく先生方が自身で立ち上がるようにすすめられるといいのだけど。

 

那須ラボでおしゃべりしてきた

木村くんが星野先生を訪問するというので、私も混ぜてもらい、一緒に那須ラボにいってきた。木村くんは挨拶程度と思っていたようだけど、途中で奥さんも参戦して大いに盛り上がり、気づくと夜10時をまわっていた。

子供プログラミングの話を中心に、子供の遊び方のこと、とりまく大人達のこと、さらに学校、地域、役所、国まで多岐にわたる内容で、星野さんの想いの強さが伝わってきた。

那須ラボに来ている子供の中には、マイクラのコアなことを話してもいまひとつ通じない学校よりも、共感を得られる那須ラボが楽しいと思っている子がいるとのこと。昨夜のおしゃべりも根は同じ。大人も子供もわかりあえることが楽しいのだ。

 

 

私と腰痛

腰痛のメモ

初めて腰を痛めた記憶は高校生の時、部活でだった。
それからしばらくして、年月にすると10年くらい後に、良く言う「ぎっくり腰」を経験した。
それから頻度は異なるけど何度も何度も腰が痛くなっては治りを繰り返してきた。最近は夏冬に1度、それほど強い痛みではないが腰痛に襲われていて、@kussy_yにいらぬ季節を感じさせてしまっている。

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それに限らず、季節の挨拶な感じで曲がった腰を労ってくれる方も多く嬉しく思う。

また腰痛のアドバイスを求められることも少なからずある。しかしその時その時に頭に浮かんだことを話すだけなので、一貫性に乏しいアドバイスになってしまったことに申し訳なく思ったりもしている。

少し前(2017年12月21日)から、軽く腰痛ということもあり、備忘録的にまとめてみることにした。

 

診断

急性の痛みであって、一般に言うぎっくり腰であるが主因は不明。

腰痛受診の7割は予後良好で診断不能らしいので、その7割であることは間違いない。


歴史

高校生でやった後ではっきりと記憶に残り、かつ最大といっていいぎっくり腰は25歳の時にMacintosh IISiの14インチモニターを持ち上げた瞬間だった。その後10年間で大きいのは2回くらいだったと思うが、35歳過ぎから毎年のように大きなぎっくり腰に襲われ始めた。45歳くらいだったか、それ以降、小さいのは繰り返し起こるものの、大きな痛みが来なくなった気がする。現在52歳だけど、ここ数年、何日も動けなくなるようなことはなくなった。

 

学習期

10年単位で変化があるのだけど、25歳からはスキー部でそれなりに運動していた時期だったが、大きいのは明らかにスキーシーズン後半の体力的に疲れて来た頃で無理な滑走をした時や、分かりにくいと思うけど、思ったように滑れずにやけになって滑りが荒れた時だった。

次の10年の多発期は、結婚してスキーをやめて、ほとんど運動しない時と重なっている。

45歳以降なのだが、ここは多発期で学んだことが活用され始めた安定期といえる。特にぎっくり腰になった直後の12時間の過ごし方が多発期と大きく変わり、とにかく休むようになった。だから正確には回数が減ったのではなく、大きくならずに済ませらるようになったが正しい。そう言う意味で多発期は学習期とも言えるかもしれない。

 

多発期でやっていたこと

多発期でのぎっくり腰後の過ごし方でよく覚えているのが、なった自分を情けなく思い、とにかく普段通りの姿勢、振る舞いを無理にでもしていたことだ。痛いところを探るように身体をねじったりして、今思うと痛い身の上に痛みを重ね、さらに悪化させていたようにだった。

またよく病院にも行っていた。

沖縄旅行直前にやったときは往診に来てもらい、自宅でギプスでガッチガチに固めてもらった。旅行は大変だったけど、とにかく動けなくならないように注意して行動した。荷物も1歳半になる息子の抱っこも当然妻にやってもらった。

ただどこの病院も回復に貢献してくれたのか、よくわからないままだった。

1つだけ例外があって、車で1時間ほどのところにある病院でマッサージしてもらった時は、着いた時に匍匐前進だったのが、帰りには直立二足歩行が可能になるまで回復でき、まさに夢のような奇跡を経験した。しかしマッサージは診療外のため知人を介さないとならず、緊急時用の切り札にするしかなかった。

 

10年の多発期を経て学べたこと。

  • ぎっくり腰にも病院ではまかなえないくらいにバリエーションが多く、当たる病院を見つけることは困難
  • 発生を完全に抑えることはできない。だから発生してからの対処方法が重要になる
  • 対処方法は自分で見つけるしかないため、残念ながら複数回の経験を持つ必要がある
  • ぎっくり腰はやはり痛いし、炎症という病気だし、生活に支障の出る現象ということを認識しなければならない
  • 運動は効く。ただし運動量は少なくても30分ジョギングを毎日やるくらいの覚悟が必要

 

学んだ対処法

これはあくまで私の方法であって、上に書いたように人それぞれなので注意してほしい。

私の場合、とにかく腰を休めること。動けるようでもなるべく動かないようにすることが最も大切。動けば動くだけ悪化する。人前でやってしまうと「大丈夫大丈夫」と頑張ってしまいがちだけど、それは最大の誤りである。

それと腰を動かして痛みを試してしまうことがある。「ここまで動かしても大丈夫だから」と。これもダメ。痛みを感じるほど悪化させていることを忘れてはダメ。

湿布もお湯で温めるのも、逆に冷やすのも、その効果は確認出来ていない。一方、腰ベルトは動かなければならない時は効果的である。でも動かないことが何よりなので、動かずに済むならベルトは不要である。

カイロプラクティックや電気療法も効果不明。一度だけ、電気をやってもらったら痛みが増したことがあって、それ以来怖くて行けない。行くなら上記の先生のとこだけかもしれない。

そしてなんといっても、やばい動作があることがわかってきた。若干前かがみで左右どちらかに体が動く時にギクッとなりやすい。例えばテーブルの先の方にあるものをとったりするのは、それが消しゴムでもあぶない。

 

ここ8年はまさに安定期

まずギクッとくることが減ったのは、やっちゃいけないことがわかってきたからだと思う。そして少しでも痛くなるととにかく休むことにしたので、二次災害的に強い痛みになることが少なくなった。おかげでスキーもそれほど怖くなくなったし、長期で出かける時も心配することが減った。腰痛の間、外見は無駄にゴロゴロしているようなので理解されにくい時はあるけれど、強くギクッとやるよりやらないに腰たことはない、と家族には諦めてもらうようにしている。

 

まとめ

なんでもそうだけど、色々試してみてどうだったかをふりかえるのが近道だ。再現させることが難しい、というか再現させたくないから、再現した時に何をするかをあらかじめ考えておき実践する。そしてどうだったか、どうなったかを覚えておくこと。年に2回程度でも20年繰り返せば、誰でも少しは上手になるんだ、ということだ。